福祉とは、福と祉ということばで作られています。
福とは「幸せな状態」を指し、福祉の祉は「良い」という意味を持っています。あわせて「最良の幸せな状態」と訳すことができます。
この福祉という言葉。
戦後、日本人が行政文書の中で、初めて使用した造語といわれています。
この造語が生まれた背景は、平和を強く願う気持ち、少しでも世の中が、人々の暮らしが今より良くなりますように・・・と、さまざまな意味を内包して、できあがったのだろうと想像します。
わたしたちは、その言葉が持っている願いの通り、1950(昭和25)年戦後から約70年後の現代、平和な日本に暮らしています。
過去の先人たちの願い、その心を大事に、福祉の国日本を、よりよく幸せに発展させていけたらと思います。
わたしは、これまで社会福祉、介護福祉を学び、障がい、高齢、児童の各分野における、それぞれの職務に関わりました。
学び舎の同朋大学(愛知県名古屋市)を卒業して25年間、福祉しか知らず、そして主に相談員業務を中心にして、人の話、悩み、さまざまな暮らしの場に関わらせていただきました。
その時々で、喜怒哀楽、生老病死、困難な暮らしの状況などを目の当たりにしました。
社会や現実は厳しい、と感じる時は多々あり。
そのいずれもが決して他人事、我がことではないと割り切ることはできず、どうしたらよいか、どうすればよかったか、と、いつも、今も悩んでいます。
話は変わりますが、これまでの福祉、例えば、障がいの分野では、身体障がい、知的障がい、精神障がい、発達障がい、高次脳機能障害、難病など、法律の縦割りによって、利用する制度、支援の施設などは分かれてきました。
相談員として多く方々とお会いしましたが、複数の障がいを持っていたり、そのご家族にも、別に介護状態の方が同居していることがあります。それがため、さらには家庭全体で低所得になってしまい、暮らしに困窮しているお宅も同様です。
こうしたとき、ただ一分野の知識や経験しかなければ、本当に起こっている問題には気づかず見過ごしてしまったり、もしくは、どうして良いかわからず、対応できないこともあります。
ある人は、それを制度の「隙間」と表現しますが、果たしてそうなのでしょうか。
社会福祉とは、社会が最良の幸せな状態へと願い活動することで、決して、対象を限定しているわけではなく、逆に、しなくても良い考え方です。
誰しも子どもの頃、相手に障がいがあろうとなかろうと、同じく家族の中に認知症や病気の家族の人がいたとしても、分け隔てなく接して友達になったり、その家族を思いやり大切にするように・・・誰にとっても自然な形で付き合うことができる・・・そんな文化や価値観を、町や社会に生みだす将来を描き実現したい、ということが、わたしの社会福祉活動の目標です。
わたしの出会った方々は、障がいや病気のある人、それを見守るご家族自体も必死に生きていて、悲しい、苦しい、理解されることがなくつらい思いをしたことがない、という人は、誰一人としていませんでした。
病気や障がいに関わらず、誰もが分け隔てなくするためにはどうすべきか、それに向かって最善を尽くすことが、どんな状況や場面であっても、優先されることが一番大事なことではないか、とそのときどきで考えさせられました。
人には価値観や意思があり、みんなが違う考えを持っています。
人柄は、育つ環境や周りの人間関係や経験などで形成されていきます。
そのため、一人として同じ人がいません。個性が、家族が、集団が、町や社会を作って、ともに一緒に暮らしています。
ときには、ぶつかり、ときには、分かり合えないことも多分にあります。
違う存在であるからこそ、それは、ごく自然の結果で、人が人らしくある証拠だと喜ばしくさえ思います。違うことは、悪いことではないのです。同じものにすることこそが正しいのではなく、それを受け入れることのできない考えこそが問題です。
わたしが相談員として、一人の方を支援するにあたり、福祉だけでなく異分野に働きかけ結集して、事にあたったとき、多くの状況が次々に好転していく経験をしてきました。考え方や価値観は、みんながほぼ異なります。ですが、そのことを否定する人はいません。
そしてその結果、支援する対象の人だけではなく、関わる人みんなが、そのまとまりを意識して、最後には所属や分野を超えて、確かな連帯感が生まれました。
一人の人を中心にして、その人を思って人々がまとまると、どんどんと幸せが連鎖していくように、温かい気持ち、人の強さや安心感、誇りさえも感じました。それは、多くの事例があります。
きっと他の福祉職の人たちも、こうした経験をした人は多いはずです。
あるペインクリニックのドクターは、痛みのある人がボランティア活動をすると痛みを忘れる、そんな調査報告があるんだよ、と教えてくれました。
老人ホームやホスピスなどでボランティアをしている方の一部に、昔、その施設で大切なご家族を見送った方がされている場合があります。彼らと話をすると、その大切な家族が今もなお近くにいるように感じられ、生き生きと活動しているんですよ、とお話しを伺いました。
障がいのある方を中心として、とても楽しそうに暮らしているご家族もいます。
人が誰か別の人のため、を思ってする活動は、日々日々はもちろんたいへんなことで、決して表に出るような華々しいものではなく、むしろ地道なことです。すぐには結果は出ないけれど、関わるすべての人を幸せへと導くのではないか、と教えてもらい、わたしの信条になりました。
一本の木にたくさんの鳥たちが集まりさえずり合う様のことを「百千鳥」
といい、そんな社会が実現できたらと思って名付けました。
株式会社マゼンダの「マゼンダ」は、マゼンタ色(自然界にはない人が作ったまじりあう美しい赤紫色。フクシアの花の別称)をもじって作った名称で、働くことやその仕組みによって障がいのある人や自分から人の輪に参加しづらい状況にある人が、社会やまちに自然に混ざっていくんだ、より美しいあなたらしい花を咲かせよう、という意味で名付けました。
2020年8月13日に生まれた社会福祉法人「百千鳥福祉会」は、文字通り、百千鳥の福祉、百千鳥が行う最もより良くまちが幸せになる活動、それが永く続きますように・・・という願いを込めて名付けました。
名は体を表すと信じています。これらの活動を通して、先人たちが作ってくれた社会福祉を継承し、さらに、より良く発展させていく、次の活動をしていきます。
社会福祉法人百千鳥福祉会は、障がいのある人が保護されるだけの弱い立場の存在なのではなく、人に支えられながらであっても、その人のあるがままで人生の夢を目指し、ひとりの市民として、住み慣れた町で暮らしていけるようにする活動を、これからも追求していきます。
そして、その活動を、他の地域に波及していくミッションを、従来のNPO法人が担います。
また、工賃(働く対価の賃金よりも下回る報酬)とは賃金のことではなく、マゼンダは、たくさんのその道の専門家に協力をお願いし、指導を仰ぎ、どんなに重い障がいがあっても賃金が得られる仕組みづくり、それも、みんなが生き生きと地域に参加できて、誇りをもって働く仕事づくり、人のための活動づくりにチャレンジしていきます。
これらをひとつの福祉活動グループとして、たくさんの人に協力を呼びかけ、ご参加をいただき、ともに目指していける組織作りを考えています。
過去、かの二宮金次郎さんが報徳活動を行いました。
村々の財政の仕組みを整え、救い、そしてその利益で、また同じように困窮する村々を助けたといわれています。
福祉とは、経済と一体的なもので、決して別のものではありません。また、真っ先に切り捨ててよいものでもありません。そのどちらも充実させることで、個々の暮らしが安全や安心なものとなり、ひいては人の関係性が正しく培われ、長い時間を経て、社会全体が力強く回っていく原動力になるものです。
そして、福祉とは、特別なものではありません。特別な知識や技術を有する人しか関われない独占的なものでも、決してありません。
日々、日々、町の暮らしの中にあり、どこでも、いつでも、多数の様々な人が関わることによって、誰かの暮らしを支えたり、豊かにすること、それによって町の文化が色づくことこそが、福祉の本質、福祉の強み、コアなのです。
目の前にいる一人に対する支援も、まちをより良くする活動も同じもので、マンパワーの結集、活動の継続性、その目的を「人のため、より良く」とポジティブに願い、人々と共感し、保ち続けることが大切です。
その結果、まちをも動かす幸せなムーブメントを巻き起こせる、素晴らしいもの、それが社会福祉の活動です。
遊びとは、人が成長するときのたいせつな手段です。
また、暮らしの中の余暇や和みをもたらすものです。
喜びとは、最も高度な感情で、人が幸せを感じたときに得られる気持ちのことです。
学びとは、多くの知識を得ることを指し、人は一生涯掛けても学びを続けていきたい存在です。そして、その知恵を人のために役立たせることで、自分自身も、そしてもっとたくさんの人を、社会を、幸せな状態に成すことができるのです。
ありがとうの反対の言葉は、当たり前を意味しています。
この言葉は対のものでもあり、人が関わり、ありがとうを積み重ねていくと、「当たり前の幸せ」になるのです。
誰もが 遊び 喜び 学び合い 人となり 人と成せ
それが当たり前になることを・・・
夢のある社会、幸せなmiraiを実現する社会福祉の活動を・・・
わたしは、あなたに託したい。
令和2(2020)年8月13日
社会福祉法人百千鳥福祉会
特定非営利活動法人百千鳥
株式会社マゼンダ
C.E.O 竹田 晴幸